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アメーバピグ

昨日、初めてアメーバピグという機能を使ってみた。
アメーバブログ専用のSNSって感じですね。

で、アバターをこんなやつに設定した。

seihonnnoさんのブログ-未設定
どうみてもおっさん。

本当は20代なんですけど。



その他、映画のこと
最近映画を観に行くと『超日本語吹き替え版』って出てきますよね。
何が『超』なのかさっぱりわからなかったんですが、どうやら字幕を以前よりわかりやすく作っているらしいです。
展開が速かったり話が複雑になる作品では積極的に使われるそうです。
裁判員制度の施行に伴って裁判用語をわかりやすいものに変えるのと同じようなものでしょうか。
以前より俳優の喋りに連動しているらしいです。

そういえばマットデイモンが主演するジェイソン・ボーンシリーズを観た時は展開が速くて映像を追っていくのが辛かったですね。

以 上。
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【映画】フレイルティー 妄執

『フレイルティー 妄執』をDVDで鑑賞。ネタバレあり。



あらすじ(wikipediaより)
ゴッドハンド(神の手)と呼ばれる連続殺人犯の捜査をしているドイル捜査官のもとにフェントン・ミークスという男が現れ、真犯人を知っていると告げる。その犯人は自分の弟だと告げ、その弟が「周りに悪魔がいる」と謎の言葉を残して自殺をしたという。ドイル捜査官は彼のいう事を信じないがフェントンはさらに話を続け、幼少時代の父の話を続ける……。



三人家族の父がいきなり神の啓示を受けたので悪魔を殺す、なんて言い出して幼い兄弟は父に従うも父が連れてきたのは近所の普通の人間で、頭の狂った父の殺しに付き合わされる羽目になってしまったのだ…というお話し。

作風はM・ナイト・シャマランの映画に近く、中盤でハラハラさせてラストの逆転で魅せる。
だからラストに引っ張っていくための途中の回想シーンが重要になるだろう。
回想では、父は本当に狂っていたのかが疑問として上がってくるんだけど、傍から見ている分にはとても精神異常者にしか見えないのがミスリードを誘う。
父親役のビル・パクストンが真面目に神への信仰を強めれば強めるほど、神の姿が見えない我々からは彼の異常さが強調されて見えてくる。

で、まあその辺の演技とかは面白かったりしたんだけど作品としてはちょっと疑問に思うところがあった。
まず、ラストで唐突に神の存在が事実になるにはあまりに手順を踏んで無さ過ぎじゃないかと。
そこでいきなり悪魔が見えたと知らされても、それだけでは単なる斧やパイプを神器にする神のセンスの悪さが拭えるわけじゃない。
一瞬だけ天使が視聴者にも見えるシーンがあるが、それも天使というには極めて不細工な造形でミスリードを誘うんだけど、それはいっそ見せないほうがよかった。
要は物語が主張する神が神というにはあまりに次元の低い存在であることに問題がある。
兄弟のうち兄が悪魔などと言われても、彼は人間としての道徳に従って行動した極めてまともな人間なので、傍からみれば悪魔なのは殺人教唆する神のほうである。
だから肝心なのは神と名乗っている者は実際は神なんじゃなく神を名乗る悪魔であって、家族を不幸に至らしめたのは神を名乗る悪魔が地獄の人口を増やすために罪人を葬る処刑人が欲しかったというのが正しい見方だろう。

もし本当の神の所業としたいのであれば、農具や工具なんかを神の武器にした理由の明示、ただの平凡な三人家族を神の手先にした理由の明示(神と悪魔の水面下の戦いが云々だったみたいな説明)、人間として極めてまともだった兄が後に神の手を名乗って殺人鬼になる過程、などが必要になってくるだろう。
M・ナイト・シャマランはけっこうその辺の過程は丁寧にやっていると思う。

あとは見せ方にもう一つ工夫があればよかった。
ラストシーンではそれまで画面に映っていた弟の顔が人々の記憶から消されるけど、見ている側にはほとんど機能していないのでは。
常に画面の別のものに注意を引きつけて刑事と弟をひたすら曖昧な見せ方をするなどの工夫があれば、神の所業がいま一つリアリティを増したのではないかと思う。
その意味でも天使は見せるべきではなかった。


その他
・子供に殺人教唆とか死体遺棄とかけっこうきわどいシーンにインパクトがあったり
・第1回監督としてはすごい出来


評(星5満点)
★★☆
(世にも奇妙な物語的な面白さ)


ファンタスティックプラネット

『ファンタスティックプラネット』を映画館で鑑賞。
物語の展開はかなり大雑把な印象があったけれど、そこはまあ絵を重視するフランス人の感性だろうと思う。
ということでこの映画の見どころはサルバドール・ダリやルネ・マグリットを思わせるシュールレアリスムな絵の連続によって作られた異次元を堪能できるところにある。

青白い顔の巨大な異星人の住む星で人間が家畜や小動物のように細々と生きながらえているという世界観で、奇妙な生き物が捕食される生態系や過酷な自然環境といった描写に力が入っていて異次元の宇宙の壮大さを感じさせてくれる。



現実的にはかなり異常な絵で以って、最初から最後まで作り上げているのに感心する。
物語最後の方ではさすがに疲れたのか急速に話をまとめに入っちゃうけど。

$seihonnnoさんのブログ-ファンタスティックプラネット
青ざめた顔に丸く赤い目を持つ異星人の容姿はどこまでいっても不気味。




最近の出来事
・『フレイルティー 妄執』を見た。
・『エルトポ』を見た。
・『ゾンゲリア』を見た。

百舌谷さん逆上する

『百舌谷さん逆上する』

基本的にはツンデレを題材にしたコメディ漫画なんだけど、その言葉から想像できないほど物語の密度が高くてびっくりする。

『ヨーゼフ・ツンデレ型双極性パーソナリティ障害』と、この作品では『ツンデレ』をそう呼ぶ。
主人公の百舌谷さんが患っている『ツンデレ』は、近年乱造され氾濫する数多の平坦化されたデザインの萌えキャラクターとは異なって、『ツンデレ』それ自体にアイデンティティの葛藤を抱えているために単なる萌えに終始しないところが面白い。
特に『ツンデレ』を患うゆえに他人に無用の暴力を加えてしまうことが多々あって、それが本来望んでいる行為でなくともしてしまうという矛盾によって、ある種の社会不安・人間不信を抱えるというデリケートな部分にまで言及していくあたりがすごい。
そんな百舌谷さんの立場から出てくる言葉がまた大変インパクトがある。

以下抜粋
『一般によく誤解されている事ですが
私達ツンデレは他人に対する好意や愛情を
それとは裏返しの攻撃的な行動で表してしまうため
すべての感情が普通の人間とは逆であると思われがちです
しかしツンデレの症状が出て逆の愛情表現になるのは他人に対する好意だけで
喜怒哀楽の感情は他の普通の人間と何ら変わりなくあるんです
つまりツンデレだって怒る時にはちゃんと怒っているんです
皆さんにはわかりますか
自分が今真剣に怒って訴えたい事があるのに皆が皆半笑いで何もとりあってくれず
あまつさえ「萌え」などと愚劣な言葉で道化のようにはやし立てられ嘲笑われる私の気持ちが』


物語の導入から百舌谷さんの「自分がどういう人間なのかをはっきり自覚している」というこの発言は大変勇ましく痛快で、単純に萌えを期待する人間への皮肉にも感じられる。
序盤から緊張感あるエピソードが作品への期待をいやが応にも高めてくるけど、物語のテンションが下がることはほとんどない。
むしろ巻ごとに様々な揺れを見せつける展開に常に真新しさを感じさせてくれる。

それと上のほうで近年の萌えキャラに若干否定的な感じで言っちゃったけど、自分が『百舌谷さん逆上する』を更にすごいと思うのは、ライトオタクだろうが重度のオタだろうが(ともすれば一般的な人でも)すんなり受け入れられるのでは、という大衆性も持ち合わせている点だ。
作者独特のキャラクターのハッキリとした線からは物語を曖昧にはぐらかさない雄弁さがあって、それで以って扱っているのは『ツンデレ』という事情だけではなく、それを取り巻く人々の抱える葛藤でもあり、それは時に現実世界の自分たちが抱えている苦しみと連動させてくるから内輪受けに留まらない面白さがあるんだと思う。

ということで大絶賛。


その他
作者が昨年逝去された伊藤計劃氏の友人ということもあってか巻によってテーマの深刻さに驚いたり、本の裏表紙に書かれている作者のオススメ映画から遥か膨大な蘊蓄を溜めこんでおられるのだなあと感心したり、3巻のカラーページにてかつてない感動を覚えたり、10年ぶりくらいに『萌え』について真剣に考えさせられたりした。

エアベンダーは近年まれに見る傑作童貞映画である

M・ナイト・シャマランの『エアベンダー』は彼のこれまでの作品同様、酷評の嵐に見舞われた。
しかも今回は原作ありのファンタジー世界が舞台ということで、シャマランのいつものどんでん返しを期待するファンからも反発されることとなった。
だがしかし、そうした人たちは得てして今作『エアベンダー』の真のテーマには気づいていない。

主人公の小坊主アンに注目してみよう。
彼についてまず目につくのは額の刺青である。
これはどう見ても矢印の刺青であり、その矢印が真下に指すものとは紛れもなく股間である。
つまりまず最初の段階で彼は性にまつわるドグマを抱えていることがわかる。

彼がなぜ修行を逃げ出したのかというと『まともな人の一生を送れなくなる』ということであった。
しかし、もうひとつ重要な証言がある。
『アバターになると家族も持てない』
生涯家庭を持つことはできない、また坊主である以上は女性との無闇な関係を持つことも出来ないことを考慮する。
ということはつまり、彼が修行を逃げ出した本当の理由とは『アバターになると家族も持てない』=『一生涯童貞のまんま』ということにあるのである。
土の国にて存在意義のいまいち不明な『アバター:キヨシ』像にも注目すべきだろう。
人々はアンに重大な発言をする。
『君の前(前)代、アバター:キヨシは遊び好きだったね。』
アバターは生まれ変わっても根本的な性質を等しくすることは気の国の寺院で証明済みである。
アンは前世において遊び好きだったからこそ、坊主として貞潔で在らねばならないことに不安を感じるのだ。
やはりアンは童貞のままでいるのが嫌で嫌で仕方がなく、それゆえ修行を抜け出してしまったのである。

アンのライバルとなる火の国のズーコ王子もまた重大な台詞を残している。
『アバターを連れて国に帰る。恋などその後です。』
彼は先の戦争で友人を庇い、王に追放された。
アバターを連れて帰らねば二度と王国に戻ることは許されない。
名誉を回復しない限り彼は一人の人間として生きていけないのだ。
なぜなら、彼もまた童貞なのだから。

童貞映画であると理解すれば、後半の勇み足な展開も多少の理解が増えるだろう。
アンと共に旅をするサカは水の国の王女と急激な恋愛関係に発展するも王女はすぐに死んでしまう。
多くの観客はこの展開に戸惑い、原作ファンは本来長丁場のエピソードを削られ怒り心頭だ。
だがこれは童貞映画だから当たり前のことなのである。
世界が危機に瀕する時にいいようにラブストーリーを展開する輩なぞ糞喰らえというシャマランなりの皮肉めいたメッセージなのだと推測できるだろう。

それよりもアンを見習うべきである。
自らの煩悩によって世界は100年もの間戦争が続き、お師匠さんも殺されてしまった。
もう後悔したくないとばかりに奮起し生涯童貞を受け入れるアンの姿には感動せざるを得ない。
クライマックスでの海水の湧きあがりにも注目(水とは生命の象徴であることも考慮したい)。
自らの性欲の澱でもあった湧きあがる大海のような『怒り』、それを『悲しみ』によって鎮めることで性欲とともに世界を調停するのだ。
額の矢印は輝き、怒りと悲しみが同居する。
その後の彼の姿はあまりにも美しい。
生涯童貞を貫くことを決意したアンはこれから待ち受けるであろう苦難への不安と覚悟が入り混じった表情で我々の前に立つのだ。

『エアベンダー』は単純にCGやストーリーにだけ注目して見れば近年のファンタジー映画と相違ないものと受け取られるかもしれない。
しかし『エアベンダー』はその背景にある『童貞を受け入れる』という悲壮な運命を直視することで、美しく、しかも力強い物語として我々を感動させるのではないだろうか。
プロフィール

achi

Author:achi
プロメテア教

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